記憶カメラ/はてなサテライト

ブログ「記憶カメラ」のサテライト版です。

今週も出会ってしまった、新しい友人のようなカメラ。

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メインブログのほうを見てくれた人はお分かりかもしれないけど、またひとつ新しいカメラとレンズを迎えることになった。新しいといっても古いモノたちなんたけとね。1988年に登場したAF機のNikon F-801と、その少し後に発売されたのかな、AF 28-80mm F3.3/5.6Gというレンズだ。

 

休日の昨日、フィルム1本だけ入れて試し撮りしてきたんだけど、現像は週明けに仕事場の近くのキタムラに出すんで、作例的な写真はまだない、あしからずということで。

 

Nikonフィルムカメラといえば、FやF3といったF一桁機や、機械式のFM2なんかがおなじみで、このF-801なんて機種はあまり馴染みのない機種だと思う。事実、僕もなんとなく存在は知っていたけど、AF機はF6を持ってるんで、特にそれ以外のAF機に興味を持つこともなかった。けれど、たまたまいつものカメラ屋で綺麗なモノを見つけた。もともとついていたレンズは35-135mmのものなんだけど、それでなんと¥3,000を切る値段で売られていた。え?と目を疑う値段である。

 

まあ、この時代のカメラたちは市場であまり引き合いがないのか、驚くほど安値で売られている印象はあるけど、さすがにこの値段ならファインダーの汚れがまともじゃなかったり、レンズにくもりがあったりするもんだけど、いちおう確かめてみたらファインダーも驚くほど綺麗。電池を入れて動作確認してもまったく元気で気になる箇所もない。だったら、僕が引き受け人になろうじゃないか、ということで持ち帰った品である。

 

それにしても、この80年代から90年代にかけての時代のカメラたちは不遇である。電子式シャッター機だちだから壊れたら直せないことや、プラスティッキーな質感がありがたみに欠けることもあってあまり人気があるとは言えず、数千円で売られているものがほとんど。けれど動きさえすれば、当たり前だけど機械式カメラたちより進化した機能がけっこう満載で、使ってみると実にアリなことに気づく。

 

僕も使ってみて、そのシャッターのキレの良さなんかは正直驚いた。当時ボディだけで10万円したカメラだから、当たり前にクオリティも高い。そうそう、シャッタースピードは国内史上初の1/8000を搭載して、Nikonの気合の入れ方も伝わってくる。フィルムカメラを使い倒してカラダに身につけさせることでいえば、こんなF-801のようなカメラこそ安くて高品質でうってつけのカメラなんじゃないかと思うのである。

 

この前手に入れたオールドデジカメのNikon D200の記事にも書いたけど、カメラを楽しもうと思えば何も高価なモノを無理して買う必要はまったく無くて、こんな掘り出し物のカメラを安価で手に入れてラフに使いこなしているほうがむしろカッコよかったりする。そう考えると、僕が知らない隠れた名機たちがまだまだたくさんあるんだよね、きっと。今年はカメラやレンズは増やさないと誓ってスタートしたんだけど、こんな驚くほど安く手に入る穴場的カメラたちなら、カメラを探す楽しみも含めてアリかなと思ったり。カメラの旅はまだまだ未知の楽しさにあふれているのである。

 

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「オールドデジタル」というマイブーム。

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「オールドデジタル」とは、僕の中では10年以上前のデジカメの意味ですね。あとは、CCDセンサー機というのが分かりやすい境界線かもしれない。というのも、以前から気になっていたNikonのCCD時代の一眼レフ「Nikon D200」を手に入れたんだよね。そしたら、その写りがなんともオールドな風合いでいいなあと。

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見た目は遠目から見たら現行のNikon 3桁機と見分けがつかないくらいモダン。D200は2005年に登場した製品なんで、もう14年も前のモノなんだけど、こうして写真で眺めても古さはまったく感じない。おそらくカメラに特に詳しい人じゃなければ最新機種と言っても違和感ないんじゃないかな。けれど、これで撮れる写真はなかなか味があっておもしろい。

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レンズはAi AF 50/1.4を絞り開放で撮ったものばかりなんだけど、注目したいのはやっぱりコクのある色のりの感じ。これはやっぱりCMOSセンサー機とは違うんだなあ。カメラのモニターが小ぶりなんで、撮っている時はその違いはあまり分からなかったけど、MacBookにつないで写真画像をチェックしてみると、明らかに雰囲気が異なっていてちょっと驚いたんだよね。

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CCDセンサーに加えて1000万画素強という低画素数なのもたぶん影響してる。とにかく、現行のCMOS機ではこんな風には撮れないよね、という描写が味わえる。僕にはそんな気がする。

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で、この時代のCCD機を今なぜに手に入れたのかといえば、やっぱりその破格な値段であることが大きい。見た目も操作感も上質なAPS-Cフラッグシップ機が、¥15,000ほどで手に入るのだ。フィルムカメラの一眼レフ機よりも安いかもしれない。もちろん、高感度に強くないとか、修理期間も終了しているから壊れたらおしまいだとか、今さら手に入れるのは躊躇するカメラともいえる。でも、この値段ならそれも許せる。遊び倒して、使い倒してあげようじゃないか、と思えるのである。

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今の時代にこれほどまでに高品質なカメラを新品で手に入れようとすると、間違いなく20万円、30万円はするだろう。若い人たちからすればとんでもなく大金だ。それを苦労して手に入れる歓びもあるけど、僕が若かったら2万円もしないこんなD200のようなかしこいカメラを使い倒したい。そして、何より現代のカメラでは描写できないCCD機ならではの芳醇な写りを確かめ倒したい。無理せず、工夫してスマートに、ミニマルにカッコよく生きる人のD200。そんな風に思えてならない。

 

 

 

 

デジタルで撮り続けるとフィルムで撮りたくなり、その逆も然り。両方必要なんだよな、僕は。

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僕はフィルム派の人間だし、デジカメ派の人間でもある。つまり両方使いのカメラ好きである。今まであまり考えたことなかったけど、世の中にフィルムとデジタルを両方楽しんでる人たちって何万人くらいいるんだろうね。

 

まあ、普通に考えれば世の中の大半の人にとって「カメラとはデジカメ」のことで、あえてデジカメなんて呼び分けもせず、カメラと呼んでる感覚だと思うんだよね。僕もデジイチで撮り始めた頃はそう呼んでた。

 

その後、僕はフィルムカメラを始めた。フィルムカメラにハマるともうカメラはフィルム以外考えられないと思った時期もあるけど、オールドレンズ×デジカメという世界を知ってデジカメも並行して楽しむようになった。だから僕のデジカメには大抵フィルム時代のオールドレンズがついている。

 

でもどうだろう、Twitterなんかを眺めてるとフィルムでしか撮らない人(たまに家族の運動会なんかで必要に迫られてデジカメを使う人も含む)もいるし、もちろんデジカメしか使わない人も(この場合、年にほんの少しだけフィルムカメラで撮る人も含む)いる。そのへんの数とか割合がちょっと気になるなあと思ったのである。

 

というのも、僕はデジカメで撮り続けてるとフィルムで撮りたくなるし、今度はフィルムで撮り続けてるとデジカメで撮りたくなる。デジカメがフィルムへと導き、フィルムがデジカメへと導く、なんというかフィルムとデジタルが相互に作用しあってカメラ好きを加速させてる感じなのである。

 

正直どっちがなくなっても困るし、どちらかと言われてもそれも困る。僕にとってカメラとは、フィルムカメラもデジカメも両方あってこそのカメラなのである。んー、上手く言えないけど、この二つは別物というより共存し合うことが必然なんじゃないかと思ったりしているのである。

 

フィルムのほうが趣味性が高くて、デジカメのほうが実用性が高いとも言えるけど、それはまさにライフスタイルの中で使い分ける明確な理由でもあって、趣味性も必要なら実用性も必要。どっちも人生には欠かせないもので、少なくとも僕の中ではとても自然に共存している。むしろ互いに価値を高めあってるいい関係なのである。

 

同じ話ではないかもしれないけど、フルサイズミラーレス機が出てきたことで、たしかに一眼レフ機は少し過去のもので、これからは趣味的カメラとしてわずかに生き残っていくのではという向きもあるけど、僕はあの「光学ファインダー」というものはやっぱり必要だとも感じていて、それはフィルムで撮りたいと思う嗜好と同様に、趣味を楽しむ選択肢としては無くならない(無くなっては困る)ものなんじゃないかと思ってる。

 

人間はつまるところ五感がよろこぶことを欲求として生きている。実用性は重要だけど、あえて五感をよろこばせるための手間とか無駄とかがどこか要るんだよね、僕らには。よくこの世の万物は明と暗、光と影、善と悪みたいに、相反する表と裏の世界のバランスで保たれていると言われるけど、フィルムカメラとデジカメもそんな関係なんじゃないかとちょっと思った。というわけで、どっちも楽しめる現代はとても幸福だし、フィルムカメラは古いものとかではなく、デジカメとのバランスとして無くなってはいけないものだよね、という話でした。

 

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モノクロ版じゃなくて週刊「記憶カメラ」かな。

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WordPress版のメインブログ「記憶カメラ」と、この はてなブログ版の「記憶カメラ/はてなサテライト」を二本走らせてみて二週間くらいになるんだけど、そうして思うのはこちらは「週刊 記憶カメラ」かなと。当初はね、モノクロ写真版にしようと思ったりもしたんだけど、メインブログでもモノクロは撮って載せてるし、少し無理があるなと笑。だったら素直に、メインブログほどは更新しないけど、週に一回程度更新する週刊ブログが現実的なあと。まあ、あまり気にしないでください笑。僕の中の二つのブログの棲み分けの話なので。

 

で、この一週間の記憶カメラを振り返って、その中からエピソードをひろって、まとめたり少し掘り下げたりする はてなサテライトにしたいんだけど、今週は写真のVoigtlander Bessa-Lについて少し書こうかなと。このカメラ、どうかなあ、みんな知ってるかなあ。フィルムカメラなんだけど、登場は意外と遅くて1999年。この何年か後にカメラはデジタルに急速に転換していくわけだけど、そのフィルム時代の後半に出てきたんだよね。そう、Voigtlanderの名を冠して日本のコシナが初めて世に出したボディ。後発なわけだから、いろいろ機能を満載して然るべきなんだけど、コシナはなんというか、やっぱちょっと変わってるというか、登場してきたのは距離計のない目測専用機だったんだよね。もうなんというか売る気あったのかなと笑。

 

売る気というより、じぶんたちが作りたかったクールでクレージーなカメラを世に出したかったんだようなと。商売よりポリシーみたいなものが勝っちゃったみたいな。そりゃね、スナップシューターにこだわれば、可能な限りボディはコンパクトがいい。しかも、スナップシューター好きはどうせ広角レンズつけてパンフォーカス気味なんだし、そもそもふだんからほぼ目測撮影慣れてるでしょ、みたいな無言のメッセージ。で、実際、この目測機と一緒に距離計非連動の広角レンズ Snapshot-Skopar 25mm f/4を出してきた。いやあ、コシナ、最高だよほんと笑。

 

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実際、この広角目測専用機の戦闘能力はなかなかのもの。少なくとも目測であることはまったく気にならない。開放でもf4だし、少し絞ればすべてにピントは合うんで、たしかに距離計さらば!みたいな感じなんだよね。

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はたしてこれ、誰にすすめるカメラなのかってことなんだけど、たぶんね、ビギナーの人も全然いける。そこそこシャッターショックあるんで、夜は絞り開放でも手持ちでスナップはむずかしいかもしれないけど(試していないだけだけど)、日中なら何も気にせずスパンスパン!シャッター切れる。とにかく画角も広いからどうせいろいろ写り込むし、ファインダーも外付けだから正確に画角を決める感じでもない。だったら何も考えずにシャッター切りまくろうぜ!といわんばかりのラフで軽快なカメラかな。

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考えたモン負けみたいな、究極のいさぎよいスナップシューターってことかな。さすがにこれだけいろいろ写り込むと、家の近所の散歩カメラにはちと余計な背景が写り込みすぎる。なので、僕の使い方は完全に街撮りスナップ専用カメラ。

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興味のある人には、ほんとおすすめ。とにかくジーンズのようにラフにタフに扱えるカメラ。お店で見つけたらたぶん値段もそれほど張らないし、レンズを合わせてもバルナックより安く手に入れられるはず。1999年とわりと最近のカメラだから、まあ壊れる心配も少ないと思う。露出インジケータを見ながら適正露出に合わせることもできるし、シャッタースピードが1/2000まであるのもけっこううれしい。なによりこの当時のコシナのクレージーさみたいなものを感じられるのが、僕はいちばん嬉しかったりする。中二病的やんちゃカメラだ、これは笑。

 

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今年もめちゃくちゃボケるぞ。

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いや、ボケるというのはとても高等技術で、センスのある人じゃないと、おもしろくもカッコよくもない。だから、僕には無理なわけで、優秀なレンズたちに「見事なボケをかましまくってもらおう」というわけである。

 

僕のボケ愛のレンズはこれまでライカズミルックスだったけど、元旦にニッコールも加わった。共に50mm f/1.4という数字だけ見ても気持ちが高揚する明るいレンズたち。これにすでに所有しているAuto Nikkor S-C 50/1.4を加えた、f1.4三兄弟でボケまくろうじゃないか、というわけである。

 

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僕は何を隠そうボケが大好きだ。ボケが欲しくて一眼レフを手にした分かりやすい人間なので。このボケと、あいつはボケだというボケは同じ解釈の言葉なのかどうかは分からないけど、ボケというのは本来もっとカッコいいというか粋な言葉として語られてもいい。だって駄目なヤツというより、いい意味でまともじゃないヤツという意味だと思うからね。

 

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僕は平日は街撮りのスナップ撮影が多いから、そんな時は広角でボケも何もあったもんじゃないところがあるけど、ここぞという気分の時はLeica M-P typ240にSummilux 50/1.4 2ndをつけて街へ出る。もちろん開放付近で撮るから50mmともなるとけっこうピントは薄くなる。当然、咄嗟のスナップではピントを外すことも少なくないけど、ピントがピタッと決まって撮りたかった人やモノが周囲から浮き立つ様はシビれるとしか言いようがない。ボケはいわゆるおバカなボケとは違って、ひたすら高度でカッコいいんだ。

 

周囲にフォトジェニックな被写体が無かったとしても、ボケを楽しむのであれば家の近所の平凡な場所だって大丈夫。どんどんボケをかましていこう。ボケるってのは最高にセンスが必要で、最高にエンターテイメントなことだから。

 

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