記憶カメラ/はてなサテライト

ブログ「記憶カメラ」のサテライト版です。

デジタルで撮り続けるとフィルムで撮りたくなり、その逆も然り。両方必要なんだよな、僕は。

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僕はフィルム派の人間だし、デジカメ派の人間でもある。つまり両方使いのカメラ好きである。今まであまり考えたことなかったけど、世の中にフィルムとデジタルを両方楽しんでる人たちって何万人くらいいるんだろうね。

 

まあ、普通に考えれば世の中の大半の人にとって「カメラとはデジカメ」のことで、あえてデジカメなんて呼び分けもせず、カメラと呼んでる感覚だと思うんだよね。僕もデジイチで撮り始めた頃はそう呼んでた。

 

その後、僕はフィルムカメラを始めた。フィルムカメラにハマるともうカメラはフィルム以外考えられないと思った時期もあるけど、オールドレンズ×デジカメという世界を知ってデジカメも並行して楽しむようになった。だから僕のデジカメには大抵フィルム時代のオールドレンズがついている。

 

でもどうだろう、Twitterなんかを眺めてるとフィルムでしか撮らない人(たまに家族の運動会なんかで必要に迫られてデジカメを使う人も含む)もいるし、もちろんデジカメしか使わない人も(この場合、年にほんの少しだけフィルムカメラで撮る人も含む)いる。そのへんの数とか割合がちょっと気になるなあと思ったのである。

 

というのも、僕はデジカメで撮り続けてるとフィルムで撮りたくなるし、今度はフィルムで撮り続けてるとデジカメで撮りたくなる。デジカメがフィルムへと導き、フィルムがデジカメへと導く、なんというかフィルムとデジタルが相互に作用しあってカメラ好きを加速させてる感じなのである。

 

正直どっちがなくなっても困るし、どちらかと言われてもそれも困る。僕にとってカメラとは、フィルムカメラもデジカメも両方あってこそのカメラなのである。んー、上手く言えないけど、この二つは別物というより共存し合うことが必然なんじゃないかと思ったりしているのである。

 

フィルムのほうが趣味性が高くて、デジカメのほうが実用性が高いとも言えるけど、それはまさにライフスタイルの中で使い分ける明確な理由でもあって、趣味性も必要なら実用性も必要。どっちも人生には欠かせないもので、少なくとも僕の中ではとても自然に共存している。むしろ互いに価値を高めあってるいい関係なのである。

 

同じ話ではないかもしれないけど、フルサイズミラーレス機が出てきたことで、たしかに一眼レフ機は少し過去のもので、これからは趣味的カメラとしてわずかに生き残っていくのではという向きもあるけど、僕はあの「光学ファインダー」というものはやっぱり必要だとも感じていて、それはフィルムで撮りたいと思う嗜好と同様に、趣味を楽しむ選択肢としては無くならない(無くなっては困る)ものなんじゃないかと思ってる。

 

人間はつまるところ五感がよろこぶことを欲求として生きている。実用性は重要だけど、あえて五感をよろこばせるための手間とか無駄とかがどこか要るんだよね、僕らには。よくこの世の万物は明と暗、光と影、善と悪みたいに、相反する表と裏の世界のバランスで保たれていると言われるけど、フィルムカメラとデジカメもそんな関係なんじゃないかとちょっと思った。というわけで、どっちも楽しめる現代はとても幸福だし、フィルムカメラは古いものとかではなく、デジカメとのバランスとして無くなってはいけないものだよね、という話でした。

 

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